民主県政の会とは

(一)革新県政の一翼をにない、県民要求の実現にむけて活動

「民主県政の会」は、革新県政の継続発展をめざして1988年に結成され、ブリッジ共闘の一翼として畑県政の継続を支えてきました。 1972年に畑革新県政が誕生しました。高度経済成長以降、人口、子どもの増加にともない、革新県政として「15の春は泣かさない」と県立高等学校を104校建設、畑革新県政の県政運営は地方自治体での子育て支援にひろがり、「ポストの数ほど保育所を」の流れを大きくしました。また革新県政ができてすぐに、県の無担保無保証人融資制度を実現し、県から市町村へと広がり現在にいたっています。 しかし92年に畑知事の突然の出馬辞退をうけ、「民主県政の会」として独自に、世直しドクター・高橋昭雄氏を擁立、以後、96年、2000年の選挙でも高橋候補を擁立して知事選挙をたたかってきました。92年の自民党土屋県政の成立以後、県政において共産党以外の政党がオール与党化していく中で、私たちは県民要求を力に、土屋県政に対峙して着実にたたかいを前進させてきました。 土屋県政は、県庁から「憲法を暮らしに生かそう」の垂れ幕をおろし、新都心をはじめとする大型開発に奔走しました。土屋県政は自らの政治資金問題で知事辞職に追い込まれ、急きょの選挙になったなかでも、候補者を擁立し、「県民共同でつくる埼玉県政」をめざしてきました。

(二)2011年埼玉県知事選挙にのぞむ立場

今回の知事選は、第一に、貧困がかつてなくひろがり、08年のリーマンショック、そして今年の円高と、内需不振による景気の低迷と輸出型大企業の異常なまでの内部留保の蓄積によって、国民のくらし、仕事の状態はまったなしの状況のもとたたかわれます。国税庁の調査では、年収200万円以下の労働者が1,099万人に達し、自立できる青年は正規労働者でも51.6%、非正規では30.3%に過ぎません(15歳から34歳)。2人以上世帯の22.3%が、貯蓄がない状況です。第二に、政権交代を果たした総選挙、その後の参議院選挙と、国民の新しい政治を模索する流れ、国のあるべき姿を求める流れと、一方で新自由主義的「構造改革」の流れが、菅内閣のもとで加速し、政権交代は実現したが、結果として自民党政治と変わらないもとで、いま、日本の将来を考える岐路にあることです。第三に、地域主権改革の流れが強まる中で、地方政治のあり方を通じて、国の形を考えていくことが求められており、国政・県政・地方政治のあるべき姿と役割を示していくことが問われるもとでの知事選挙となります。

(三)上田県政の2期8年を県民の暮らしから見直していきます。

2期にわたる上田県政は、その新自由主義的な県政運営と上田流の「行財政改革」によって県政に求められる役割を限りなく縮小しました。県民の暮らしの実情および県経済の状況のきびしさによって困難を増す県民の要求に応えられないばかりか、県内市町村の行政にも否定的な影響を与えています。また、教育や平和・民主主義の分野ではその強権的かつ右翼的な傾向は続いています。 くわえて、民主党政権が、自公政治の「地方分権」を受け継ぎ、ナショナルミニマムを否定する「地域主権改革」を推進しようとしており、上田知事は、大阪の橋下知事などと同様、県民生活や社会福祉を切り捨てる「地域主権改革」の旗振り役として台頭しています。唯一、上田知事がすすめた県職員減らしは、その象徴ともいえるものです。 県民のくらしと営業をまもるために、日本国憲法にもとづく人権保障と、生存権を基軸とする社会権を発展させる県行政の推進が切実に求められています。今こそ私たちにとって、地方自治の民主的な発展を対置し、県民的な運動を前進させることが急務となっています。

(四)新自由主義的「構造改革」路線が県民にもたらせたものは、弱肉強食を基本とする競争と格差の拡大にありました。いま県民生活が大変な状況にあるだけでなく、圧倒的多数の県民は、現在、そして将来への不安をもっています。

3月11日に起こった東日本大震災は、多くの尊い人命を奪い、新自由主義的「構造改革」路線の推進によって、住民の暮らしと命を守る行政の役割がどうあるべきなのかが問われています。それは「構造改革」路線の推進が、住民不在のまま行われた自治体合併やライフラインに直結する消防や防災、医療・福祉の「広域化」をすすめてきたこと、電気・ガス・情報通信・交通は次々と民営化され、一見すると便利になった感じもしますが、儲け本位に、人減らし・合理化をすすめてきた結果、いざという時に、その「ぜい弱性」があらわになったのではないでしょうか。東電の原発問題はまさにその象徴です。 住民の命に直結する行政の仕事を、サービスの質や、そこで働く労働者の働くルールを抜きに、非正規雇用の拡大や低賃金・長時間労働のまん延、またこれまで自治体が築いてきたノウハウを引き継ぐことなく、民間に丸投げしてきたことが、多くの被害をもたらし、悲しみと苦しみを広げる結果となったのではないでしょうか。 「民主県政の会」は、競争と合理化を基本とした新自由主義「構造改革」自体が「時代遅れ」となり、こことの決別なしに、住民の福祉や安心・安全、いわゆるセーフティネットは充実できないこと、いまの上田知事の県政運営から県民本位の県政に変えることをめざして、活動をすすめています。