高知にできたことは 埼玉でもできるはず

「高知県産業振興策」視察 村岡正嗣県議報告
 高知県は尾崎知事を先頭に「このままでは生き残れない」との危機意識から県民本位の産業振興計画を練り上げました。「強みは中山間地」と、逆転の発想で弱点を強みに変え発展させています。
 中山間地の過疎化や高齢化、少子化の進行、そして経済の減少に対し「人口を増やし、若者の定着・増加、出生率を向上」させることが打開の道と方向を定めました。「足元が弱ければ外に打って出る」と、下請け企業の多い高知県の特性から「地産外消」「地産外商」を打ち出しました。県内で生産したものを県外で売る。そこを県が応援して、売り上げをのばせば増産を支援しました。

産業振興で若者の雇用拡大も
 外商を伸ばすうえで首都圏に拠点がないことが弱点でした。そこで県が外商公社をつくり、そこを拠点に企業の販売・取引のサポートをすすめました。
 産業振興は、県内に留まる若者を増やすことにもつながりました。高知県の被雇用者数は、産業振興計画がスタートした平成21 年の18万1千人から6年で19万2千人と1万人以上増えました。なかでも第一次産業の新規就業者は5年間で2千人以上増えました。これまでは若者が県外に離れて行くのを止められませんでした。
高知県はもともと森林が多く、また海産物は豊富です。カツオを加工した食材づくりなど、一次産業を起点力に位置付け、中山間地も栄えさせる。高知県は地に足をつけて産業振興をはかったのです。
 第3期産業振興計画(平成28年から)では、新たな技術の導入で農業生産アップと黒マグロの養殖に着手します。外商は大阪、名古屋への進出です。地震や津波対策も産業化して防災関連企業を興し、台湾など海外に進出しています。
次号では視察団が訪れた、産業振興と人材育成の現場を見てみます。 (次号に続く)